冬季オリンピックで感じた「おかげさま」「ありがとう」
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先日のオリンピック、男子フィギュアスケート。

右足首のケガを乗り越えて、オリンピック2連覇の偉業を成し遂げた羽生選手の演技はとても感動的でした。

インタビューでは「右足に感謝しかないです。」と語っている姿に、彼の「おかげさま」と「ありがとう」の精神が伝わってくるようでした。

 

想像もつかないような大舞台であるオリンピックに立った選手たちは、勝った人も負けた人も誰もが周りの人たちへの感謝の言葉を口にします。

応援をしてくれたみなさん、ここまで育ててくれた指導者の方に対してはもちろんですが、競い合ったライバルの選手たちにも感謝の言葉を口にします。

誠心誠意、一途に競技に取り組む姿勢や、語られるその言葉に、清らかさやすがすがしさを感じて、心が洗われるような思いでした。

 

「おかげさま」と「ありがとう」

 

「おかげさま」「御陰様」

「陰」に「御」や「様」までついている、なんだかスペシャルなワード。

パソコンで「陰」と入力すると「隠れて見えない、光があたらない・・・陰に隠れる、陰で支える、陰の実力者」という、「陰」の意味や使い方?が右側に表示されました。

「陰」というと陰気な暗いイメージを持ってしまうかもしれませんが、この「陰」とは隠れて見えない・目には見えない力、神様やご先祖様などの偉大な「陰」という意味だそうです。

この「陰」の力が見守ってくれるから、自分は今生きて、いろいろな事を体験できるという意味になるそうです。

 

「ありがとう」「有難い」

感謝の気持ちを表す「ありがとう」の語源は、実は「めったにないこと、珍しくて貴重」という意味の「有難し」という所からきているのだそうです。

めったにない、貴重なという意味合いから、今生きているということ、生かされているということに対し、とても貴重なことなんだという感動や感謝が込められた言葉なのかなと考えています。

 

平穏に暮らせることが幸せ

 

数年前に起こった東日本大震災の経験で学んだこと。

 

信号が止まっていて、ずいぶん時間がかかったけれど無事に自宅に帰り着けた事。

物が少ないおかげで、倒れたり割れたりする物もなく、ワンズがケガもせずに元気で居てくれた事。

水道から綺麗な水が出る事、やっと電気が灯って部屋が明るくなった事、温かいお風呂に入れた事・・・などなど。

当たり前のように生きて平穏に暮らしている事って、実は奇跡的な事の連続なのかもしれないと感じるようになりました。

また、目に見えない力だけでなく普段の生活の中でも、私たちは直接的には関わっていないけれど、多くの人たちから「おかげさま」「ありがたい」の恩恵を受けているのだと実感しました。

 

言葉が持つ力

 

以前勤めていた総合病院で、突然倒れて入院することになった患者さんがいました。

回診の際に、病気のためすんなりと言葉が出てこないその方に対し、担当の医師が「ゆっくりでいいから、良くなるように一緒に頑張りましょうね。」と声をかけていました。

起き上がれない患者さんの目線に合わせて自分の目線も低くした姿勢、声のトーンとスピード、相手の目を見ながら語りかけるゆったりとした医師の言葉に、とても穏やかな気持ちになりました。

医師が部屋を出た後で、その方は「いい先生で安心した。」と緊張が溶けたような笑顔で、ゆっくりと話してくれました。

すると、4人部屋だったのですが、他の入院患者さんたちも「なんだか私も安心した。」「私も早く良くなるように頑張る。」というような会話を始めました。

また、隣のベッドの患者さんをお見舞いに来ていた家族も、「お母さん、あんな優しい先生がいる病院で安心だね。」と話しかけていました。

多分、その医師は自分の担当患者さんを回診して声をかけたというだけなのですが、その医師の言葉を聞いたことによって、瞬時にその場にいた数人が優しい穏やかな良い気分になったという体験でした。

「おかげさま」も「ありがとう」も、心のこもった言葉というのは、言われてみると嬉しかったり、ちょっとくすぐったかったり・・・温かい気持ちになるものです。

また、そういう言葉や会話は、耳に入るだけで周囲の人も良い気分にしてしまう効果があるんだなと感じた出来事でした。

 

普段使いの「ありがとう」

私自身、「ありがとう」は良く使っている方だと思います。

何かしてもらったら、「すみません」ではなく「ありがとう」と言うようにしています。

最初は意識して使っていた「ありがとう」も、今ではすっかり日常に溶け込んでいます。

 

ささいなことだけれど日々の暮らしの中に普段使いで「ありがとう」が言える人で居たいなと思います。

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